
2019年10月に全国公開されたアメリカ映画「イエスタデイ(2019年のほうですよ!)」。
先日この映画を見たのでその感想を書いていきます。
『yestaday~イエスタデイ~(2019年)』のことが知りたい方はこちらの記事を読んでください。
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ずっと興味があった期待値の高い映画だったのですが、少々がっかりな感じだったのでその感想を書いていきます。
核心のネタバレに踏み込みますので見たくない方はブラウザバックしてください。
映画『yestaday~イエスタデイ~(2019年)』途中まではよかったがエンディングが期待外れ
酷評することになりますが、途中までの展開はものすごくよかったです。
エド・シーランとビートルズ(の曲)の対決はわくわくしましたし、
Beatlesの曲を思い出すのに苦労し、曲のルーツを辿る聖地巡礼。
名曲のタイトルが現代風にアレンジ(改変)される歪みに対する葛藤・・・。
舞台設定である『ビートルズが無い世界において自分だけがビートルズを知っている』という現実をもとに展開していくのがとてもよかった。
だが、エンディングが近づくにつれ、ビートルズである必要性がだんだん薄れていきます。
主人公がビートルズの曲を発表することで、革命を巻き起こしたという表現があるのですが、
その『肝心の革命』・・・
つまり、『何が起きるのか?』もしくは『何が起きるべきだったのか?』というのがありませんでした。
これじゃあビートルズである必要性が感じられません。
『革命だ!』と声高に唱えるのなら、その革命を示すべきだったと思います。
それなのにエンディングは
『ビートルズの曲はみんなのもの』
『みんなのものになったから利権を失った』
というもの。
肝心の主人公は正しく生きられて、地元に帰ってビートルズの曲を子どもたちに聞かせる。
おいおい・・・ミュージシャンの夢とかどうなったん?
主人公の才能を信じていたエリーの想いは?
というか、君が主人公である必要性はあったのかい?
とまぁ、こんな感じで、エンディングにはとてもがっかりしました。
革命を示すエンディングならよかった
ここからは僕の妄想ですが、例えば・・・
・エド・シーランと主人公(のビートルズの知識や想い)が協力して、革命に相応しい曲を作る。
・世界中のミュージシャンが革命のムーブメントに乗って進化する
というような展開だったらよかったと思う。
現代でもビートルズの曲はいつまでも色褪せぬ芸術、伝説です。
作中のあの時点で、この芸術がなかったことで革命が起きていなかったのは世界にとって損失だった。
というようなことを主人公やエド・シーランが言ってくれたらよかった。
現代音楽をゴミのようにディスるのではなく、昇華すべき課題はいくつもあった。
といような音楽業界に対する問題提起を発信すればよかったように思う。
そもそも主人公は一体何を手に入れたのか・・・?
エリーとの愛に目覚めるのは良いのだが、もっと『自分自身が次のステージに上った!』というような展開があってもよかったのではないだろうか。
タイトル | イエスタデイ(2019年映画) |
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ジャンル | SF、恋愛、異世界転移? |
制作国 | アメリカ |
上映時間 | 116分 |
日本公開日 | 2019年10月11日 |
監督 | ダニー・ボイル |
脚本/原作 | リチャード・カーティス |