
1994年の日本映画「ゴジラVSスペースゴジラ」。
宇宙に飛んで行ったG細胞(ゴジラ細胞)が様々な条件下でスペースゴジラとなり、ゴジラを倒すために地球にやってきたという怪獣映画です。
特撮のため着ぐるみ感はあるものの、その戦闘描写は味わい深いものの、
作中の人間ドラマの必要性は皆無に等しく、特に結城晃の存在は不快そのもの。
見どころは、お粗末な科学知識描写、デスクトップパソコンの外箱を半田ごて?で直そうとするシーン、そしてゴジラとスペースゴジラの戦い。
それでは、ここから『ゴジラvsスペースゴジラ』のあらすじ・ネタバレ・感想を紹介していきます。
映画『ゴジラvsスペースゴジラ』 のあらすじネタバレ (おふざけバージョン)
ゴジラの生息するバース党に派遣されたGフォースの新城と佐藤はゴジラをテレパシーで操るTプロジェクトのために来島する。
そのバース島ではゴジラに親友を殺されたGフォースの結城晃が復讐を達成しようと微笑ましい嫌がらせをゴジラにしていた。
Tプロジェクトは一応成功するのだが、結城晃はまだ嫌がらせをするためにゴジラを付け狙っていた。
そんなある日、宇宙から謎の巨大怪獣が飛来する。
ゴジラと同じG細胞を持つその生物は宇宙で進化したことからスペースゴジラと名付けられた。
スペースゴジラはゴジラの前に立ち、攻撃を開始。
ゴジラは同族であるリトルゴジラの防戦で一方的に攻撃され、敗北する。
それで気がすんだのか、スペースゴジラは日本本土に上陸して破壊の限りを尽くす。
事態を重く見た日本はスペースゴジラを倒すため、
秘密兵器である鼻にドリルが付いた巨大ロボ・モゲラに結城晃、佐藤、新庄を搭乗させてスペースゴジラ迎撃に向かうのだが、
ゴジラがスペースゴジラを倒すために同じく日本本土に上陸し、鹿児島県、熊本県を破壊しながらスペースゴジラの方へ歩いていた。
ゴジラ出現の報を受けた結城は、ゴジラに嫌がらせをするために独断でゴジラを攻撃。
そんな命令どころか空気も読めない結城を邪魔だと判断した新城は、
結城をぶん殴って気絶させて縛る。
ゴジラ・モゲラ対スペースゴジラの戦いが始まる。
結城は途中で目を覚ますのだが・・・。
ゴジラVSスペースゴジラの感想 芝居一つ見ても全く没入感がない映画
僕がまだ学生だった頃、ゴジラシリーズは日本中を夢中にさせていたという記憶がありました。
ですが、2020年になって見直した今。
視聴するのが苦痛に思えるほど面白くない。
ゴジラの着ぐるみ感やロボットのモゲラの玩具感はまだ味わいとしてとれる。
だが、1994年でこの程度の科学知識しかなかったのか?と思えるくらいみすぼらしい描写。
あきらかに家庭用レベルのデスクトップパソコンの外箱をなぜか半田ごてで直そうとしていたりするのは微笑ましく感じたが、
いわゆる科学的根拠を述べるシーンのその知識レベルがお粗末すぎる。
素人が無理くり繋ぎ合わせたというような・・・。『雰囲気が伝わればそれでいい』というレベルでアマチュア感がすさまじい。
SF科学に慣れ親しんだ昨今の観点で見ると、失笑を禁じ得ない。
いや、でもこれもまだ許せたんです。こういう時代だったと受け入れることはできたんですよ。
一番許せないのは役者が織りなす人間ドラマ。
これが毛ほども面白くない。
特に結城。
こいつが腹立たしいくらいに不愉快。
ゴジラに親友を殺され、ゴジラへの復讐に拘って生きているという設定なのだが、
憎悪、悲痛さが全く感じられない。
昨今の復讐者は、感情をむき出しにするタイプでも抑えるタイプでも、その圧倒的な怒りが伝わるものですが、
結城の姿からは何があっても復讐を遂げるというような強い意志は感じられない。
偉そうな態度、人の話を聞かない身勝手さ、わけのわからないフェアプレイ精神、
静かな怒りを表現しているのだろうが、拗らせた不良社員にしか見えない。
こいつのなにもかも中途半端な姿は見ているだけでイライラする。
最後のエンディングでも一匹狼を気取り「あいつ(ゴジラ)は大した奴だ。気がすんだよ」っと言っており、
正直、復讐設定などなくてもよかったし「お前は何を言っているんだ?」感が凄まじい。
なんだんだろうこの作品の人間ドラマ・・・。
1980年代のスポ根の暑苦しさでも表現しようとしているんだろうが、とにかく肌に合わなかった。
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タイトル | ゴジラvsスペースゴジラ |
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ジャンル | 怪獣 |
制作国 | 日本 |
上映時間 | 108分 |
日本公開 | 1994年12月10日 |
監督 | 山下賢章(本編) 川北紘一(特撮) |
脚本 | 柏原寛司 |